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スキャンダラス.アーカイブ.2月2日_3月18日

3月18日 「ウィス・ヒズ・ソング」

僕は保育園の先生の仕事をやめた方がいいかも。「キリング・ミー・ソフトリー」という映画のプレビューを見て、「キリン組・ソフトリー」と聞いたよ。


3月14日 The Pleasure Principle- 音楽より理念を重視する音楽を巡って

先週東京にいたうちに圭ちゃんが僕にあらゆるポップのCD(っていうか、3枚ぐらいだったけど)をくれたので、将来のアップデートで前に述べたポップ対決JC vs. Justinの話をちょっと拡大したいと思う。でも、あの日が来るまでにこれについて思案をめぐらしてみて下さい:

The Pleasure Principle

前回の話との関連性が強いとしても、絵におけるデジタル画像編集がこんなに下手にしても、実はこの絵が僕の手によるものではないですよ。Something Awfulという英語コメディー・サイトのところで写真のホームがある。でもね、なんか、現代ポップを1980年代前半のシンス・ポップに比較する人が僕だけじゃないと分かるとなんとうれしい気持ち。

でも、前に言ったように、それは将来のアップデートの話だ。先週東京へ行ってきて、おいしい料理屋さんをいくつか訪れて、コーネリアスに会った(コーネリアス!!!)。それは全部いいことだった。それで、MerzbowとLightning Boltというバンドのライブへ行ってきました。それはちょっと悪かったかも。

ライブのオペンナーがY2K問題というバンドだった。見ると頭の中にこのような会話があった:

説得しやすいダン:「わ〜、なんか格好いいかも。エレクトロニックスのないバファロードーターみたいだ!」

懐疑的なダン:「あれ!でもさ、エレクトロニックスのトコがバファロードーターの面白いところじゃない?」

説得しやすいダン:「あ、そうだねぇ」

Y2K問題の後で、ターンテーブルが三つあったDJがものすごく長いセットやった。彼がポップの音楽をビートのない音だけの音楽と混ぜたのが、興味深いと誉めるべきだとしてもあまり魅力的じゃなかった。セットは我慢できないほどながかった:1時間半だったっけ?

このころ背が高いヒップスターなアメリカ人の団体が現れて(「ヒップスター」ってあのむく毛みたいな髪型している、何も考えずにインディー的な音楽を認めるなんか怪しい人ってこと)、僕たちの前に詰め込んだ。あいつらのバックパックが僕の胸にぶつかっていたから、僕がちょっと怒ってバッグに指して友達のジュンちゃんに変な顔をした。と、そのころ初めてあいつらが邪魔してる人たちを気づいた。僕に「あ、すみません。大丈夫だなぁ」って、見に来たバンドを聞いた。パンチする気持ちをとにかく無視にしながら「ま〜Lightning Boltかな」って返事した。彼はMerzbowを見に来たって、最後に「メルズボーが歴史上のもっともエクストリームな音楽だ!」と発言した。僕はさ、エクストリームだから音楽を聞くということが、チーズの味がエクストリームと書いてあるからドリトスのチップスを買うことと同じように、少ない。それで、Merzbowのライブを見るとアメリカのインディーキッズが何を聞いてるかが相当考えてないという疑問がまた強くなってきた。

友達のジュンちゃんの日記からの引用:「メルズボーは確かにエクストリームだ。エクストリーム(ごくごく)にきつい!」。こちらはなんか同感でありながら、メルズボーが極端的に興味ぶかくないと説明したい。メルズボーを聞く理由は二つあると僕は想像しています:1)音楽がいい、か2)エキスペリメンタル(実験的)な音楽だと認めて気に入る。「1」はわりと言い伏せやすい。メルズボーの音楽はね、長い時間で、きつくて人間の耳に合わないような方法で、ゆっくりフィルターしたホワイトノイズ(白色雑音)にすぎない(おい!人間の口に合わない食べ物をおいしいという?)。数千年の人工音楽歴史をまったく捨てて、クラシックの音楽理論と少しだけの関係でもない音を作成する。

ま〜音楽歴史を捨てているという話にすると以前の音楽的な限界を超えて完全に新しいことをやっているように誉めているみたいだ。それは「2」の理由ともなります。しかし、その面でも失敗だよ。カールハインツ・シュトックハウゼンなどのエレクトロニック・ミュージックの祖父達がはじめてフィルターでノイズを操ってスクリプトのあるエレクトロニック音楽のスコアを作った1950年代後半以前、フィルターとかで音楽を作ろうとする人はまるでいなかった。あの音楽はある程度聞きづらいとしても、音楽は実験だった。サブトラクティブ・シンセセス(フィルターなどで元の音からある割の音を引いて新しい音を作る過程)の将来の道を定義した実験だった。と、その道を歩むと現代のエレクトロニック音楽に到着する。でも、1950年代からの長年ではKraftwerkとTangerine Dreamなどのバンドによって、シュトックハウゼン氏の電子音楽作成過程を伝統的な音楽理論に曲げることができるということが分かってきた。つまりエレクトロニックの楽器は伝統的な楽器に多少類似しているってこと。だからこそ、メルズボーの話に戻れば、ホワイトノイズをフィルターすることでメルズボーがエキスペリメンタル(あるいはエクストリーム!)と言うのは、エレクトロニック音楽が次第に上達した半世紀の歴史を無視することだ。シンス・ポップの時代に育った客さまの前にメルズボーがあのような音楽を演奏するのは、物理学者ばかりいる教室の前にリンゴを使ってアイザック・ニュートンの重力実験を行うほどエキスペリメンタルだ。

メルズボーの後はBlack Sabbathの真似しているDMBQというバンドが現れた。そんなに悪くはなかったが、メルズボーの後ではもっとリラックスした感じの音楽を聞きたかった。

最後にアメリカから来た元美術学生のコンセプチュアル的な(音楽より理念を重視する)楽団Lightning Boltが演奏した。コスチュームとか聞いたりすると聞いた時、Gwarみたいだと信じたかったけど、それは残念ながら間違った。いずれにして、まーまーだった。なんか、最近僕は理念をもとにしたアートを評論する標準規則を発見した。もし僕はアート作品の理念が分かれば、それで、もし頭の中に対象のアートより理念を忠実して実行がうまいことを想像できれば、対象のアート作品がコンセプチュアル・アートとして失敗だと判断できると思う。Lightning Boltの場合、なんとなく簡単な、単調な音楽に目指しているという気がした。それは、うまいやり方がいくつかある(正しく覚えれば、日本の「Casa Nostra」というバンドがあの感じだったかも)からそれだけではダメじゃない。しかし、なぜかドラマーの人があの音楽にふさわしくないほど上手らしくて、数回曲の最中で突然ドラム・アンド・ベースみたいなドラムパッターンに変更した。最終的には天才的なドラマーが単調に非才的なベーシストの上に演奏した感じだけだった。

ライブのすべての間、コーネリアスは暴力温泉芸者というバンドの(バーからアンプリファイアに問題あったLightning Boltに「あやまれ〜!」と叫んだ)人と話したり、ビジネスの取り引きをしたりした。ライブでずっとビジネスをやっていたコーネリアスの姿を見ると、なんとなくゴッドファザー映画の結婚式のシーンが思い出した。僕はコーネリアスにメルズボーの感想を聞くことが出来ったらうれしいのにな〜。


3月3日 「Tearing Up My Heart」をさせるもの ー スキャンダラスの音楽自信喪失特集

僕は呆然としていた。テレビでNsyncの最新シングル「Pop」が流れて、隣には当時14歳の妹がニコニコ笑いながら座っていた。あの時点に至るまでに、僕はたまに変な声と下手なダンスで妹の前にNsyncを楽でなめることができた(お兄さんの義務の一つ)。しかし、最後のグリッチポップ/ビートボックス(これはエレクトロ付いたポップが今のようなクリシェになったより数年前の2001年)のところを初め、なんだか「Pop」というシングルは違った(1997年の最高のブレークビートのシングル「Orbitus Teranium」を作曲したBTがポップをプロデュースしたことは後で分かるようになった)。Nsyncがこのようにクリエティブの境界を再定義続ければ僕はあいつを真剣扱わなきゃならないということは、心配した顔で妹に申した。なんだか、もう一つのポップバンド、The Beatlesと同じようにうまく行く可能性があると口ごもった。と、それは誉める言葉じゃない。どちらかというと真っ白な恐怖の実だった。

その日から長年が経ったのに恐怖がまだ残っている。日本では今週、NsyncのJCが初めてのソロアルバム「Schizophrenic」を発売した。それに対してJC ChasezとJustin Timberlakeがこの時代のジョンとポールであるかどうかが、僕は分からないが一応それは面白い勝負になるらしい。

Agent Justin

初印象として、JCの方はポップというジャンルからずれて自分のことをやる資格があるらしいが、両方のCDを忠実に分析した時間がなかった。ジャスティンの「Justified」は相当ポップRnB:まるでマイケルジャクソンに対する完全な忠実をそのまま撮って今日の偉いRnBプロデューサーの手で形作った感じ。僕はRnBが好きかどうかは分からないが、好きだとすればジャスティファイドがかなりいいと思う。しかも、名前を抜ければ(英語で「Justified」は「正当化」という意味だけでなくワープロで使う「両端詰め」という意味も持つ。個人的にはCDのタイトルを聞くたびに「I like my music like I like my text, Justified!」というセリフがなぜか思い出す)CDは格好いいオーラを持つ。

一方、JCはあの同じ過去のポップ影響を利用しながら(JCとジャステインは両方Nsyncのメンバーだけでなく、遥か昔ミッキーマウスクラブのメンバーだったらしい)バラエティの多い音楽のスタイルに加える。妹にNsyncを見させられた遠い昔、僕は自称の音楽担当JCが一番好きだった。いわゆる「音楽」の人に対して、ジャスティンは「アイドル」の人だった(それで「怪しいインディー人」クリス、「フレンズドラマに出そうな人」ジョイー、と「どうしてあの人が帰ってくれないかの人」ランス)。従って、JCが自分の音楽の好み(エレクトロニカも結構好きでそのきっかけでBTと友達になったらしい)と作曲の才能で音楽の多様性を説明できる可能性があるかも知れない。

それにしてもJCはJustin Timberlakeのほど格好がよくない。Nsyncの頃JCはバンドの一番リラックスした尊敬できるようなメンバーだったが今レスビアンと宇宙人を話題にする曲を自由に、なんだかやらせられているように出している。よく分からないが、高校で出会うような格好いいと思われたのに、わざと「自分らしい」のようにしようとすると不細工になっちゃった人が思い出す。それにしても、彼から説明みたいなものがある「Nobody takes a rock and roll attitude to pop music anymore. Nobody talks about love in an elevator anymore. Everybody is too busy being cool. I didn't worry about being cool on this album.」それに対して僕は「普通に合うと思わないものを合成するところが興味深くて素朴なところがなんだかチャミングだ」と思った。

ということで、ジョン・レノンかポール・マックカートニーというよりJCはリンゴの方じゃないかとしか思えない。とそれにしてもなんだか当たらないかも知れない。ジャスティンはトレンドを決めるポップアイドルだ:新しいことはそんなにやっていないが相当格好いい。JCはそのアイドルを崇拝しながら自分のことをやってもなんだか変われそうもないほど格好悪い。それで、時間が経てば経つほどこの二人がだんだんもっと区別できるようになると思う:ジャスティンはもっと高尚な大人向けなRnb/ポップへ、とJCは特有性のあるやや知られていないポップの点へ進行する。よく分からないがデビッド・ボウイとゲイリー・ニューマンの関係と比べるのが的確だかも。だって、1970年代後半ごろデビッド・ボウイがディスコに合わせた相当ポップを作ったことに対してニューマンはもう宇宙人、オナニーと分裂病(英語に訳すと「schizophrenia」)に関する曲をやっていた。どんなに考えても、現代ポップは革命が必要だと分かるはずだ。と、この二人があの革命の先頭に立つ可能性が高い。

格好悪いと言えば、この書き込みを研究したところでこの面白い写真を見つけた(左の写真はJustin Timberlakeで右写真の左側がJC)!

Baby Justin TimberlakeBaby JC Chasez<----Jordan Ceccarelliじゃない

と〜、ださいはずなのにださくない音楽の話を続けば、最近ドラゴン・アシュの「Harvest」というCDを借りてそんなに悪くはなかった。珍しくいいということは言えないけど、もしアメリカのインディラジオと同じようにMad Capsule Marketsを気に入れば、Dragon Ashの方が3000倍ほどいい。と、Mad Capsule Marketsは聞いたことがなければ、エレクトロニックスのあった、本物よりかなりよくなった311を想像してください。

僕の一番好きな日本語フレーズ:「えっと、ですね」
僕の一番嫌いな日本語フレーズ:「それはあれですよ」

Lance


2月22日 ポリティカル・スキャンダル

ハワード・ディーンというリベラル派の人がアメリカの大統領の選挙の民主党代表のレースから引退したというのは、まず民主党の他の候補がディーン氏のメッセージを吸収するが、結局ネオ・コンサーバティブの勝ちだという意味している。次のイメージを作って、前のところを作り上げた。

Agent Dean

しかし、別に嘘ついてないんだ。なんとなくケーリ候補の勝ちがブッシュの再選挙への一歩じゃないかと思ってる。このような一歩:

Bush Falling

写真の数と大統領としての年の数が一緒じゃん?なんか、政治の話うまく行ってない気がする。

話題を変われば、今週末は十日町の55周年の雪祭りだった。爆面白かった!

Nuclear Blast!

雪で出来た像はどこでも散り敷いてたが祭りの開場のデカい舞台で行った公演がメインだったらしい(舞台はトラック1300台分の雪が必要だったって)。約2時間で音楽の演奏、キモノの展示会(十日町が昔キモノの産業で有名だったらしい)と花火を見た。司会が北海道の雪祭りに負けないものだと言ってた。

flowerfireworksCentral TokamachiTea Area
The Stagefacestotorokimono

あ、ギャラリーも載せたよ。写真は何でもクリックして、あるいはギャラリーのページで行ける。でも早くしろうよ、このアシカヤロウが気持ちわるいよ。


2月15日 いわゆるLadies、Goodnight

前回の書き込みは別にバレンタインディのためじゃないと言っときたいな。後、バレンタインディの一番別にバレンタインディのために書いたわけない曲はLou Reedの「Goodnight Ladies」という曲だとも言っておきたいね。じゃ、おやすみ。

「Oh, woh, woh. Something tells me that you're really gone/you said we could be friends/ but that's not what I want/ Ah, Anyway, my TV dinner's almost done, it's a lonely Saturday Night.」〜Lou Reed


2月13日 お嬢様募集中

遅くて申し訳ないです。先週の土曜日一日中交際理解教育会議があったからちょっとだけの休みが必要だった。それで、この後英会話授業を教えなくてはならないので、その前に更新とアーカイブのページの更新を終了するように今回の書き込みを出来るかぎり短くすることにしている。

なぜか、会議は僕のような人に向ったものじゃないと思った。第一、自分の外国に対する態度を問おうような活動を中心にした会議に対して僕はポップカルチャー教育を重視する。あのようにいうと僕の方が軽薄だと感じるから言い直す。ポップカルチャー教育によって日本人と外国人が同じような芸術と気持ちを持つことを明らかにして、気に入る文化の面に通ってその国に対する興味に換気する模様だ。ということは、つまり、僕と会議が国際理解教育理論の極端の反対だった。

しかも、タイミングの悪さと会議のフォーマットがなぜか僕のイメージの完璧な破壊になった。例:3階の自己紹介があった。まずはパートナーの一人に自分の名前、位置、と趣味を言う。それで、パードナーが自分のことをもう二人の人に自分のことを紹介する。最後に自分の4人のグループが会議全員に自分のことを紹介するということだった。僕は最初に「こんにちは、ダンと申します。松之山町の国際交流員です。映画と音楽鑑賞とコンピュータが好きです」って。パートナーは「音楽と映画は何が好きですか」と聞いて、僕は「ま〜最近なぜかホラーの映画を見ることが多いのですが、殆どはロマンチックコメディが好きです。音楽は何でも好きです」と返事した。それに対してパートナーが「では、ロックが好きですか?」と聞いて僕は「ロックも好きです」と応答した。

しかし、彼女がもう二人の人に紹介した時、「これはダンです。松之山町の国際交流の人です。映画、特にホラー、とコンピュータとロックの音楽が好きらしいです」ということになった。

あの二人の人が仕事の内容を聞いたので「国際的なイベントの計画、書類翻訳、と中学校で英語を教えること」と答えた。グループが会議の皆に紹介した時、「これはダンです。松之山で英会話をやっています。ロックとホラー映画が好きです。

ギャギャギャギャ!なんか、次のように言い直した方がよかった:「こんにちはダンと申します。英会話の先生です。ロックとホラーの映画が好きです。あなたの娘と付き合いたいです」。


2月2日 スタイルのミヤコ上越と中越。。。なんだと?

僕は建築の話をたまにやりすぎることがある。昨日アップロードつもりだったスキャンダラスアップデートの四番目の段落まで読んだところで、写真がない建築の話がつまらないということが分かった。今日は昨日の文章を書き直して、今度建築学を述べたら写真を載せるということをお誓いします(人のお腹に窓を装置すること以外)。

ギター買っちゃった!エピフォーン社のレス・ポールの56年ゴールドトップの再制作:なんと贅沢そうな気持ちなんだけど日本における楽器屋さんのどこでも4万円で買えるものだ。その同じ楽器屋さんからなめてるように東京で試して弾くたびあのレトロスタイルのソープバーハムバッカーがまったく錬金術的な過程であのギターの黄金な本体から出てる音楽をブリキのような音にした。

しかし、田舎の楽器屋さんがお茶の水で見つけるような楽器屋さんほどの大量を売らないから楽器とちょっと遊ぶ時間があるらしい。ギターのトラスロッドをもうちょっと固く締めてピックアップを調整したらあの韓国製のレス・ポールのコピーでもいい音が作れるでしょう。田舎の楽器屋さんが好きだかも。

魅力的なカーブと金属的な__で僕のギターが美しいものだ。高校時代運転した車がもし製作の日まで戻ることが出来たら、ギターがあの色のような色みたいだ。もちろんそれは大声で言わない。とギターの前に言うのは絶対禁止だ。ギターと車を女の人に比較することには僕が最初でも最後でもないと思うけど、例えがあっていれば言っておかなきゃ:お尻のデカい73年のGremlinという車に比べられることに喜ぶものが少ないと思う。

楽器屋さんから帰っているところでチョ〜格好いい店を見つかった(新潟県では初めて!)。DYIシャツの店、アンダーグラウンドの漫画屋さんとインディ系CD屋でなんだか友達の団体がお金を集まって一つのショッピング空間をプッチショッピングモールにした感じだった。CD屋がピッチカートファイブとショコラのCDがいっぱいならんでいたところのまわりにウィーザーのシャツとポスターだらけのような店だった。バードの最新CDを買うところで店員に「ウィーザーの大ファンですね」といったら「リバーズみたいです」という返事が来た。参った!

いつでも温泉へ行くことができるのは松之山の一番いいところだかも知れない。十日町のマルチメディアフェスティバルに登録したウェブサイトを半分ぐらい見通した時、その場、避けられないほどに裸のおじいちゃんと硫黄で煮られなきゃならないということが分かって来た。

フェスティバルがちょっと不満だったから温泉の方が確かにあの日の最高の経験だった。マルチメディアフェスティバルのほとんどは様々な会社から聞いたサラリーマンがGPSとかストリーミングビデオのような、多分僕がシリコンバレーに生まれ育てなければ面白いかも知れないものを見せる機会だった。十日町の情報館という、建築的に興味深い図書館vs.会議館だで行われた。

って、情報館の外見がちょっとインダストリアルで別に面白くないのだけれども図書館の中の空間区別の形、つまり数層に空間を別れて中央休憩所を囲まれることが非常に革新的だった。それと情報館の雑誌観賞を目的にした和室のことね。写真なんか撮りたかったが和室におじいちゃんが楽で読んでいたから無理だった、ごめん!

なんだか、松之山、松代や十日町などの人数貧乏なところが芸術で人口の問題を償おうとしている気がする。キナーレ、光の家、キョロロ、松代雪国農耕芸能センターと夢の家のような伝統的な町に建てられたポストモダーン式な建築特異点には十日町の情報館ただ例の一つだよ。

映像もクリックできるよ

と、もちろん建築物でこの楽しみが終わらないよ。モダーンアートのフェスティバルや野外の像(今雪に覆われているけど)、ポスター展覧会と反戦コンサートまでもある。上越のミニモールと相まってこの田舎のところでスタイル革命があるらしい。

これはすべて昨日松代のそばさんで晩御飯を払っていたところで気づいたものだ。レジスターの隣にバレンタインデイ用そばの箱があったが、あの箱のデザインが随分偉大だった。なんでそばがこんなに素敵なデザインが必要か?と思った。いうまでもない、初めて見た時バレンタインデイのプレゼント用のそばというもの実態もちょっと変だったね。そこで箱に「私はあなたのそばがいい」というのが書いてあったと気づいた。なるほど。

レストランで写真を撮るなんってちょっと気持ち悪かったから家で撮影するために一個買った。ホワイトデイのためにギターにあげるかも。っていうか、昨日素敵な出会いからメールあったから、あそこに送るかも。

あ、前のフロントページをアーカイブに移動したので、これから見たかったらアーカイブか下のprevious entryボタンを押して下さい(ちなみに今夜はもう遅くなっているからアーカイブページの更新は明日することになった。失礼します!)。


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